2024/06/12

インフラストラクチャとしての気候知識(2)

「インフラストラクチャのグローバル化」とは

著者のエドワーズによると、持続性があり信頼性の高いグローバルな社会技術システムは、それが生成するグローバルな情報について、科学的で社会的で政治的な正当性を作り上げる。つまり、それはグローバルな「知」を生み出すことになる。このようなグローバルな社会技術システムを作り上げることがインフラストラクチャのグローバル化である。

「インフラストラクチャのグローバル化」に至る過程

これまで述べてきたように、気象学者たちは、何十年間にもわたって「情報のグローバル化(全世界からの標準化されたデータを定期的に収集して共有するという原則)」を受け入れてきた。そして、19世紀から20世紀初頭にかけて、気象学の先見者たちは国別の観測ではなく、気象データや気象予報、通信のための「継続的で統一された全球の制度的技術ネットワーク」の構築を提唱していた。これは気象に関する「インフラストラクチャのグローバル化」だった。しかし、これは政治家と気象関係者のそれぞれの思惑によって、第二次世界大戦が終わるまでは、ゆっくりとしか進まなかった。

この「継続的で統一された全球の制度的技術ネットワーク」の理念を実現するために、第二次世界大戦後に国連の専門機関としてWMOが設立された。世界気象機関条約の冒頭で説明されているように、世界気象機関(WMO)の最も基本的で明確な目的は、「標準化されたネットワークというインフラストラクチャを構築して、情報のグローバル化を促進すること」である。しかしながら、政府間機関となったWMOでも「国際政治とグローバルな気象観測網 」で述べたように、主権国家という枠組みを超えたグローバル化は容易ではなかった。

「インフラストラクチャのグローバル化」と東西冷戦

しかし著者のエドワーズによると、東西冷戦がこの気象の「インフラストラクチャのグローバル化」を後押しした。冷戦はこのグローバル化を緊張を緩和するプロジェクトとすることによって、超大国同士を結び付けた。そして超大国にとって、このプロジェクトは同盟国を巻き込むことによって、公共性のある世界中の気象データの収集という平和的な建前とそれによる軍事を含めた現実的な利益の、両方を生み出すための効果的で重要な戦略となった。

米国の大統領ケネディは、1961 9 25 日の国連総会において、大気圏と宇宙空間を用いた気象の技術システムを政治的合意に結びつける演説を行った。これは、気象に関する「インフラストラクチャのグローバル化」だったが、背後に軍事偵察衛星となる人工衛星の開発競争などの東西冷戦の影響があったことは見逃せない。

この演説に基づいた国連総会での決定によって、世界気象機関(WMO)は世界気象監視(WWW)の設立を決定した。これは、それ以前の調整されていない多様なネットワークシステムが乱立した状態から、データと通信およびコンピュータが統合された単一の社会技術システムとして、グローバルなインフラストラクチャを構築するものだった。この構築のための困難さは、技術的なものというよりは、むしろ制度的および政治的なものだった。

 世界気象監視(WWW)によるインフラストラクチャのグローバル化

著者のエドワーズによると、この「インフラストラクチャのグローバル化」は、冷戦下の地政学と脱植民地化によって、技術政治的に促進された。まず、超大国は気象や気候などを含む多くの分野で、他国に依存することなくグローバルな情報を収集する仕組みの探求を推進した。次に、冷戦の中心的技術の2つであるコンピュータと衛星は、気象学の最も重要なツールでもあり、気象学の急速な発展に多大な相乗効果をもたらした。さらに、脱植民地化は、気象技術を広めるためのWMOの自主支援プログラム(VAP)の取り組みを刺激した(「WMOによる世界気象監視(WWW)プログラムの構築 」を参照)。最後に、公共性のある気象学への協力は、冷戦下で国が公益に向けて協力する意欲を示すための理想的な宣伝の場となった。

世界気象監視(WWW)のスタートは「技術主導」だったが、その設計には「技術政治」的な戦略が支配していた(技術政治については「WMOによる世界気象監視(WWW)プログラムの構築 」を参照)。気象に関する「インフラストラクチャのグローバル化」が進んだ結果、世界気象監視(WWW)は、人工衛星、コンピュータモデル、通信ネットワークに基づいた「社会技術システム」からなる、全世界における気象の新しい知識を生み出すためのインフラストラクチャとなった。

世界気象監視(WWW)以外でも、例えば大気圏内核実験による危機感は、「インフラストラクチャのグローバル化」を進める複数のプロジェクトを生み出し、最先端の地球物理学を地球統治と結びつけた。現在各国が合意している「部分的核実験禁止条約」は、大気圏中の核実験がどこで行われても探知できるようにするなど、「インフラストラクチャのグローバル化」を前提としている部分がある。

東西冷戦の気象学における功罪

1980年代以降、この「インフラストラクチャのグローバル化」によって、全球的な気象学や気候科学が大きく進展していく。上述したように、これには東西冷戦が気象の「インフラストラクチャのグローバル化」を強力に後押しした面がある。反面、WMOが国連システムの中に設立されたことは、東西冷戦によって「情報のグローバル化」を阻害し(当初観測データを共有しない国があった)、また超大国と密接に関連した一部の国々は、WMOへの平等な加盟を妨げられた(一部の国々はオブザーバーという立場だった)。WMO は好ましくない形で冷戦政治に巻き込まれた面もあった。

このように、 気象の「インフラストラクチャのグローバル化」の進展には、国際政治が大きく関与した面があった。そしてその気象の「インフラストラクチャのグローバル化」の上に、気候の「インフラストラクチャのグローバル化」が構築されていくことになる。