メディア論を展開したイギリスの批評家マーシャル・マクルーハンによれば、近年の電子媒体(テレビやインターネット)の発達によって、それまで人々がコミュニケーションをおこなう障壁になっていた時間と空間の限界が縮小し、地球全土がひとつの村(グローバル・ヴィレッジ)のように変貌した。これは、マーティン・ヒューソンが提案する「情報のグローバル化」でもある。
気象学分野がほかの科学分野に比べて異なっている大きな特徴は、この情報を「グローバル化」したものの「データの公開性」である。気象学者たちは、19世紀から長年にわたって、データの公開性という「全世界からの標準化されたデータを定期的に収集して共有する」原則を受け入れてきた。現代では多くの気象データが、品質管理された上で各国の気象機関や研究機関からインターネットを通じて無償で公開されている(後述するようにそれを用いた出版などには別途手続きが必要となるものがある)。
これには歴史的な経緯がある。もともと18 世紀から各地で観測された気候データは、伝統的に出版物によって公開されていた。これにかかる費用は編集と製本代だけで、出版物を購入さえすれば誰でもデータを使えた。
各国が電信による気象観測網を整備して警報体制を確立した際に、気象データを相互に交換・共有して、より広域のデータを利用した方が警報などに有利なことがわかった。1873 年の第1 回国際気象会議以来、各国間で気象データをどうやって交換して共有していくかが大きな課題となった。その課題とは、観測手法やデータ様式の統一であって、データそのものは無償だった。
そしてこれ以降、この全世界からの気象データを標準化して共有することは、長年にわたって気象学における標準的な文化となっていった。著者はこれをデータの「グローバル主義」とも呼んでいる。この無償での世界規模でのデータ交換・共有の文化が、現在の世界気象監視(World Weather Watch: WWW)を支えている面がある。
現在WWW において、WMO Information System(WIS)という通信網(本ではGTS という当時の名称が使われている)を通して報告することにより、気象の観測データは他の加盟国と共有されている。ところが、この気象データのグローバル主義は紳士協定であったため、1980 年代に問題が起こるようになった。一部の民間気象会社とそれに依存する国家気象機関が、そのデータを利用者に売って収益を上げる動きが出てきたのである。他の加盟国は、これを気象データの無償での国際交換の原則を脅かすものとして問題視した。そのため、1995 年の第12 回世界気象会議において、気象データの無償での国際交換を定めた規定が明文化された。
そして気象データのグローバル主義は、現在でも世界で引き継がれている。きわめて膨大な観測データやモデル解析データが、各国の気象機関や研究機関などから無償で公開されており、インターネットを使って机上からアクセスできる。気象学や気候科学の分野では、そういったデータをどう用いて新しい発見を引き出すか、という発想さえあれば、研究者は必ずしもお金をかけて観測を行わなくても、研究が可能になっている(データを用いた成果発表には、データ所有機関の許諾が必要となるが、ほとんどは出版時の共著か謝辞で済むことが多い)。
さらに、このグローバル主義によるデータの公開性は、この分野を研究者以外の誰でも参加できる市民科学(シチズン・サイエンス)にもした。現在では、この本に例が挙げられているように、一般市民がインターネットを通じて気象観測の誤差の調査や気候データとモデルの「監査」などを行っている。こういった意識の高まりがあったためか、日本でもアメダスの観測環境が一般市民によって問題視されたことがあった。
こうした市民を巻き込んだデータやその処理の透明性が、科学の信頼性を高めている場合がある。この本では、その例として2000 年頃から問題となった、IPCCでのホッケースティック論争などを挙げている。この論争では、そのデータや解析手法について、多くの機関や個人を巻き込んだ長く激しい論争に発展した。