(このブログは「気候変動社会の技術史」(日本評論社)の公式解説ブログの一部です)
この本のキーワードの一つはインフラストラクチャである。他の所と重複する部分があるかもしれないが、インフラストラクチャという切り口でこの本を見てみる。
インフラストラクチャとは、一般的に人間活動を「下支えするもの」や「基盤」を意味しており、例えば生活では電気、ガス、水道、インターネット、あるいは物流なども該当する。本の中でエドワーズが述べているように、インフラストラクチャとは、「ある共同体内で高い信頼性を持ち、標準化されて広く利用できる基礎的なシステムとサービスである」。
インフラストラクチャは、私たちにとって普通は目立たない背景として備わっている。しかし、私たちの文明は基本的にそれらに依存しており、そのことに気づくのは災害などでインフラストラクチャが失われたときである。例えば地震や台風などで電気や水道が止まると、真っ先に住民からその不便さがニュースで報道される。
また、インフラストラクチャの特徴は、それが結合性を持ったものであり、それによってインフラストラクチャの機能や利便性が一層向上する。例えば電力網では、風力発電など多様な発電からの電力を組み込んだり、電力が足りない電力網へ余力がある電力網から電力の供給が行われたりする。コンテナでは、トラック、鉄道、船舶などの輸送手段を超えてコンテナを用いた流通が行われている。このように、インフラストラクチャは、時間と空間と社会組織をマクロ、メソ、ミクロのスケールで結合することによって、現代の社会世界における安定した基盤を提供している。
今ではインフラストラクチャという言葉と概念は、広くどこでも使われている。しかし、気象観測網が各国あるいは全球に広がっていった19世紀には、そういう概念はなかった。各国は気象という広域の現象を観測する必要に迫られて、結果として気象観測ネットワークという一種のインフラストラクチャを構成していった。それは、最初は国単位であったが、自国内の観測だけでは十分ではない気象予報の必要性に迫られて、気象観測ネットワークは各国をつないだものとなり、数値予報の必要性から、全球規模に広がった。気象観測ネットワークは、結果として「インフラストラクチャのグローバル化」を行い、気象の「グローバルデータの収集」を行った。
インフラストラクチャである気象観測ネットワークは、各国の観測ネットワークを結合することで、その機能や利便性が一層向上する。しかし、各国が独自に発展させたネットワークを結合させることは、容易ではなかった。そこには「計算摩擦」や「データ摩擦」が存在した。それは技術的な問題だけではなく、人間(手計算だけでなく、主義主張の違いや見栄や自尊心が関与する場合がある)という厄介なものも介在した。
気象観測ネットワークの全球化、つまりそのグローバルなインフラストラクチャ化は、WMO(世界気象機関)という政府間機関の調整組織の存在と世界気象監視(World Weather Watch)プログラムという共通目標によって成し遂げられた。それは「WMOによる世界気象監視(WWW)プログラムの構築」で述べたとおりである。
しかし、気象観測ネットワークというインフラの役割は、グローバルデータの収集だけに終わらなかった。世界気象監視プログラムとそれを研究面から支援した「全球大気研究プログラム(GARP)」からデータ同化(データのグローバル化)という手法が生まれた(「再解析データ」 参照)。データ同化は当初は気象予報のための初期値作成が目的であったが、この初期値作成時に後日のデータを加えて手直しすることにより、「再解析データ」を作成できるようになった。これは一定程度の気象観測データがある過去の期間について、地球上のあらゆる格子点での気象を再現することができることを意味した。つまり、過去100年近くにわたって、気候を数値的にある一貫性を持って再現できるようになった。
これは気象データと気候データの融合をもたらした(「データを巡る戦争 」参照)。気象データは防災のような日常生活だけでなく、天候デリバティブのように経済とも密接に関連するようになった。また、地球温暖化問題の顕在化によって、気候データの方も単なる地域特性の情報ではなくなった。地球温暖化に関する将来への予測と対応(緩和策)への利用、地域毎の温暖化対策(適応策)への利用というように、生活と密接に関わるようになった。気候データは、IPCCへの貢献や異常気象の分析などに幅広く使われている。これは、気象観測ネットワークだけでなく、そこから得られる気象データや気候データも含めて、それらがインフラストラクチャになってきていることを示している。最初に述べたように、インフラストラクチャは結合性を持っており、さまざまなものと結合することによって機能や利便性が一層向上する。気象観測ネットワークとそれから得られる気象データや気候データは、防災や経済などのさまざまな活動と結合することによって、インフラストラクチャとしてその重要性や必要性が増大しているといえる。