2024/05/29

データを巡る戦争

ここでは、気象データと気候データの違いに触れる。気候は基本的には気象の歴史であり、それが時間によって平均化されたものである。そのため、数学的に見ると、気候データは気象データを単に時間や空間で平均したものだと考えてよい。しかし、その間に「人間」が入ると、話はそう単純ではない。

著者のエドワーズは、気象データと気候データを巡って起こった戦争について述べている。もちろん戦争というのは比喩であるが、気象予報と気候学との間で、長年にわたったデータを巡る軋轢があった。彼はこう述べている。「気象学者たちは、おそらくあなたがこれまでに出会った中で最も上品な人たちである。彼らは静かにそして丁重に戦う。」と。

ここでいう「気象データ」とは気象予報に用いられる情報を意味する。気象データは、予報に間に合わせるための収集の迅速性と予報精度の向上が必要だった。予報者たちは、新しい観測装置や新しい数学的手法、新しいコンピュータモデル、解析モデルについて、優れたものが出ると、率先して観測・解析・予測システムに導入した。そして、予報のための天気図を作成すると、オリジナルの観測値に関心を払うことはほとんどなかった。

一方で「気候データ」では迅速性よりも一貫した精度が必要となる。例えばアメリカの「歴史気候ネットワーク(HCN)」は、安定した環境で少なくとも80 年間の高品質データがある観測所で構成されている。この基準を満たす観測所は、米国の気象観測所のほんの一部に過ぎない。気候データには、環境維持やデータの確認などの多大な作業が求められる。そして保存されたデータは将来にわたって使われることが多い。

電信を用いた予報が始まると、データは、より新しい装置を用いた迅速だが使いっぱなしの気象データと、予報には間に合わないが手間暇をかけて確認された気候データに2分されるようになった。

ある気象要素を観測しようとしても、使える費用や手間などの資源は限られている。そのため、多くの場合データをどちらかでしか使えないという形で観測することが長年続いた。そして、気候変動が問題視されるようになるまでは、気象予報や防災に直接使われる気象データの方が優先されることが多かった。つまり、観測装置の高精度化や省力化を含めた高性能化の方が、データの安定性や連続性より優先されることが多かった。

装置更新の際の比較観測や観測環境が変化した際の報告を残していないと、それ以前のデータとの整合性がとれなったり、補正が出来なくなる。気候データは、それらの報告に基づいて、後年に気象データに補正を加えたものが多い(これはインフラストラクチャの遡及でもある)。

本書では、いくつかの国での雨量計の更新によるバイアス(偏差)の長期の経時変化の例を示している。雨量計という単純そうな装置でも、装置形状(風よけの有無)や設置場所の変化により、同じ観測所でも観測結果にバイアスが生じることがある。他の気象要素も同様である。これらのバイアスは、気象予報にはほとんど影響しないが、気候の解析には大きな影響を与える。

気象庁が公開している過去の気象データセットでは、同じ地点のデータでも、そのように整合性が取れなくなった場合は、その時点で赤線を引いて、その前後の期間でデータが均質でないことを示している。また、均質とされる期間内でも、要素ごとに時期ごとに観測法の変更についての細かな補足説明がなされている。

一昔前までは、目の前に膨大な気象データがあっても、気候学者は上述のHCNのように、特別に品質が管理された一握りの気候データセットしか使えなかった。気候データとしての質を気象データに求めても、無視されることが多かった。このことは、予報者と気候学者間に静かな軋轢を生んだ。これをこの本では「データを巡る戦争」と呼んでいる。

コンピュータを用いた数値予報モデルと同化技術の発達は、気象データと気候データ間の溝を埋めつつある。現在では、データ同化技術の発達により、インフラストラクチャの遡及を行えば、一部の厳格な用途に用いる気候データセットを除いて、あらゆる気象データを再解析を通して気候科学で利用できるようになっている。

しかし、このデータを巡る戦争は、まだ完全には終わっていないようである。気象データを気候データに統合することは可能になってきたが、温室効果ガスなどの気候専門要素の観測も行われている。気象と気候に投じることができる資源が一定である限り、気象予報と気候変動のどちらか片方に注目が行くと、必ずもう片方にしわ寄せが行く。

現状の気候監視は今しかできず、観測のない過去のデータは永久に得られない。気象観測のコストカットによる資源の最適化の結果はすぐに出る。しかし気候観測は、まず観測の長期安定性が重要であり、その価値はかなり後になってからわかることも多い。例えば、オゾンホール発見のきっかけは、長期にわたって地道に続けていた日本の南極昭和基地での、オゾン観測における異常に低い値だった。発見が数年遅れていれば、オゾン層破壊のストップは10年以上遅れていたかもしれない。気象と気候のデータを巡る戦争は、社会全体の中でデータが持つ重要性の問題として捉える必要がある。 

この本で著者のエドワーズが述べているように、将来予測を含む気候に対する知は、現在わかっている歴史的な経験に基づいている。我々は残された記録に基づいたこと以上に、将来についての正確な気候予測を得ることはできない。