2024/04/27

グローバルデータの収集

国際政治とグローバルな気象観測網」の所で述べたように、気象の把握と予測には、地域的だった気象観測のネットワークを、地球全体に広げて行くことが課題となった。この観測を地理的に地球全体に広げることを、著者のエドワーズは「グローバルデータの収集(making global data)」と呼んでいる。

世界に広がった組織された統一的な気象観測網は、気象予測と気候変動の把握の基盤である。そして気象学者たちにとって、それは気象観測の初期の頃からの夢だった。「わかるとは?」の所で述べたように、19世紀の英国の評論家で気象学者でもあったジョン・ラスキンは、この夢想した気象観測網をA Vast Machine(巨大な機構)と呼んだ。これは、この本の原題ともなっている。

各国での気象観測が軌道に乗った1882年から1883年にかけて、国際極年(IPY)が実施された。これによって、特に北半球高緯度を中心にいくつかの気象を含む観測点が開設され、初めて極域の気象データの収集に成功した[1]。

1905年のインスブルックで開催された国際気象機関(IMO)の各国気象機関の長官会議において、フランスの気象学者テスラン・ド・ボールは、「レゾー・モンディアル(Reseau Mondial)」と命名した世界規模の統一的な気象観測網を提案した(ブログ気象学と気象予報の発達史「世界規模観測網(レゾー・モンディアル)と国際政治」を参照)。これは世界中に設置した約500の気象観測地点で統一した観測を実施し、電報で観測値を一か所にリアルタイムで収集する計画だった。電信網がない僻地でも当時発展しつつあった無線が使える可能性があった。IMOはこの提案を実現すべく1907年に「世界規模観測網の専門委員会」を設立した[1]。

これは壮大な計画であり、その実現には莫大な費用が必要だった。そのため、各国政府はこれに消極的であり、この計画は縮小されて、一部の地点の観測結果を郵便で集めて気候値としてとりまとめることだけになった。

しかも、十分に標準化されていない観測値をとりまとめることは、大変な作業だった。とりまとめを担った英国気象局長官のショー卿は、その作業の際に起こったさまざまなトラブルに悩まされた。これはエドワーズが述べる「データ摩擦」(この概念については別途解説する)ともなった。観測結果のとりまとめに時間がかかった結果、最初の1911年のデータは1917 年に公開された

それでもこの計画は、後に気候変動が問題となった際に、それを議論するための世界的な規模を持った過去の観測値として、重要な役割を果たすこととなった。この観測値の収集と気候値としてのとりまとめは、その後米国のスミソニアン協会に引き継がれ、1921年以降は世界気象記録(WWR)となった。これは現在米国海洋大気庁(NOAA)が発行する「世界月別気候データ」として続いている。

1950年代に数値予報の技術が進歩してくると、その初期値のための気象観測値が重要となった。しかし、そのためのデータは、必要な場所から、必要な形式で、必要なタイミングでは得られなかった。特に気象を3次元で捉えるために必要な、各地の上層の気象データが大幅に不足していた。統一されたリアルタイムでのグローバルデータの収集が喫緊の課題となった。

この実現には、観測手法の標準化・統一だけはなく、各国が独自に設立している気象通信網の単一のネットワークへの統合と、そのための技術的、制度的な調整が必要だった。さらに1957年に初めて打ち上げられた人工衛星は、直ちに画像による気象監視にも用いられて、その有効性が期待された。

ちょうど東西冷戦の最中だった。米国のケネディ大統領は、この数値予報の実現とそれによる気象改変、および人工衛星の軍備管理を兼ねて、1961年9月25日に国連総会で演説した。それは、各国の協力による衛星と通信技術を用いた使った世界規模の気象観測システムの提案だった。これは軍事偵察を目的とした宇宙開発を、平和目的の気象予報で包んだ面もあった。これは政治家と気象学者の両方の歓心を買った。

これはエドワーズによると、高空を利用した「技術政治」であり、また衛星を用いた気象観測網という「インフラストラクチャのグローバル化」でもあった。

WMOは、これを世界規模の気象観測網の技術的および制度的な改革の機会と捉えた。これを契機に、WMOは各国の気象観測網を統一・結合する世界気象監視(World Weather Watch)プログラムを設立し、これは政府間会議である世界気象会議で承認された。

 

 世界気象監視(World Weather Watch)の概念図

現在では、このプログラムに従って、世界中に広がった数百か所以上からなる観測所で、毎日決められた世界標準時に気温や湿度などの気象を一斉に観測し、視程や雲量を目視で判定し、ラジオゾンデを上げて特定の高度の気温や湿度、風速と風向が観測され、それらは統一な様式で報告されている。そして、その結果は国際通信網を使って送信・共有されている。

なお、このための気象通信網は、WMOが敷設したわけではない。既に各国が行っていた気象観測の手法や持っていた観測網での通信方式を統一し、それらを接続したものである。 このやり方を著者のエドワーズは「インター・ネットワーク」方式と呼んで、世界気象監視が成功した一因に挙げている。ただし、当時の通信はデジタルデータが全てではなく、短波無線やファックスなどのアナログデータも混在していた。そのため、そのネットワークの統一には多大な困難が伴った。

自動化などで多少手法は変わっても、現在でもそれらの作業は世界中で行われている。そして、現在ではそれに衛星や航空機、船舶からのデータが加わっている。これらの観測作業は黙々として毎日欠かさず世界中で定常的に行われており、グローバルデータの収集として数値予報や気候変動の監視などに重要な役割を果たしている。

体系的な気象観測(気象庁提供)

グローバルデータの収集は、データの収集と伝達の標準化が中心となる。標準は潤滑油のようなものである。しかし、標準化は常に現場に応じて適用されるか具体化される。したがって、標準は伝統や因習、新しい技術、その場しのぎの工夫などと常に摩擦を引き起こす。WMOでは、これらの課題を緩和するための会議を、定期的に開催している。グローバルデータの収集は、今日でも背反と不均質と矛盾と不完全を受け入れることによって機能している。

グローバルデータの収集のための観測などの活動は地道であり、人々の意識に上ることはめったにない。それでも、気象観測は気象予報に使われており、もしこれがなくなると、日々の防災や生活に直ちに影響が出る。しかし、日射量や大気成分、エアロゾルなどの気候独自の要素の観測は、短期的な視点だとその重要性を感じにくい。

気候変動はWWRの例を見てもわかるように、くまなく観測された過去のデータがあってこそ、気候が本当に変わっているかどうかがわかる。ただ、日々継続して行う観測にはその維持や品質管理に多大な費用がかかるため、気候のための観測(観測所や測定器の維持、そのための人員)は、予算当局による削減対象となりやすい面がある。

参照文献

[1]堤 之智、2018:気象学と気象予報の発達史(丸善出版)