2024/04/10

グローバルに考える

 「グローバル化」という言葉が広く使われるようになって久しい。1989年の冷戦終了後、世界において一気にグローバル化が広がった。現在は経済におけるグローバルなニュースに直面することも多い。また個々の人々がインターネットなどを通じて世界とつながるようになり、現在ではその個人の行動が、最終的にグローバルな出来事に影響するようにもなってきている。

このことをデビッド・ブロワーは、1969年に「グローバルに考え、ローカルに行動する(Think Globally, Act Locally)」という言葉にまとめた*。その考えは地球温暖化に直面して、ますます重要になってきている。

このグローバル化社会では、地球はそれまでのような「広大な大陸と海洋からなる多くの国の単なる集合体」ではなくなってしまった。グローバル化社会の下で世界各国は政治的に、経済的に、そして社会的につながってきている。

気候学を見ても、20世紀前半まではケッペンの気候図のように地域的な区分に分かれていたが、冷戦の最中にモデルを用いたグローバルな気候科学へと生まれ変わった。もともと気象や地球環境には国境はなく、気候による影響があれば、それは本質的にグローバルなものとなる。

そういうグローバル化社会の中で、気候変動の問題をデビッド・ブロワーがいう「グローバルに考え、ローカルに行動する」ためには、我々はこのグローバル化した地球を新たにどう捉えれば良いのだろうか?

著者であるエドワーズは、その手がかりの一つとしてローマクラブが1972年に出版した「成長の限界」を挙げている。これは世界の成長をグローバルな規模で初めてシミュレーションしたものだった。その主張の一つは、ローカルな経済の加速度的成長は世界システムを崩壊させるということだけでなく、社会・技術・環境システムは相互に関連しており、どれかだけに絞ったグローバルな政策は失敗するだろうということだった。

 

ローマクラブのロゴ

さまざまな制約からそれ自体は科学的には成功したものとはならなかったが、世界にセンセーショナルな衝撃を与え、人々のローカルな行動が、グローバルにつながることを明確に示した。なお、「成長の限界」を執筆したメドウズ博士は、2009年に「『成長の限界』報告を基盤とする持続可能な社会形成への貢献」に対して国際科学技術財団のJapan Prizeを受賞している。

このような経緯を含めて、著者のエドワーズは、グローバルに考えるためには、この新たな地球を「相互に複雑につながって進化している一方で、壊れやすく脆弱な動的なシステムとして理解することが必要だ」と述べている。そして、「ミクロとしての個人の選択と行動が、その膨大な集合の結果としてマクロとしての地球環境への効果へとつながっており、その理解が個人の行動の意味を定める」と主張している。

    ミクロとしての個人の選択と行動が、その集合の結果としてマクロな効果になるイメージ

 *エドワーズによれば、この言葉は 1915 年に初めて都市計画の本 (P. Geddes, Cities in evolution (William and Nordgate, 1915))に使われた。環境関連の中ではブロワーが最初に使ったとしている。