2024/04/27

グローバルデータの収集

国際政治とグローバルな気象観測網」の所で述べたように、気象の把握と予測には、地域的だった気象観測のネットワークを、地球全体に広げて行くことが課題となった。この観測を地理的に地球全体に広げることを、著者のエドワーズは「グローバルデータの収集(making global data)」と呼んでいる。

世界に広がった組織された統一的な気象観測網は、気象予測と気候変動の把握の基盤である。そして気象学者たちにとって、それは気象観測の初期の頃からの夢だった。「わかるとは?」の所で述べたように、19世紀の英国の評論家で気象学者でもあったジョン・ラスキンは、この夢想した気象観測網をA Vast Machine(巨大な機構)と呼んだ。これは、この本の原題ともなっている。

各国での気象観測が軌道に乗った1882年から1883年にかけて、国際極年(IPY)が実施された。これによって、特に北半球高緯度を中心にいくつかの気象を含む観測点が開設され、初めて極域の気象データの収集に成功した[1]。

1905年のインスブルックで開催された国際気象機関(IMO)の各国気象機関の長官会議において、フランスの気象学者テスラン・ド・ボールは、「レゾー・モンディアル(Reseau Mondial)」と命名した世界規模の統一的な気象観測網を提案した(ブログ気象学と気象予報の発達史「世界規模観測網(レゾー・モンディアル)と国際政治」を参照)。これは世界中に設置した約500の気象観測地点で統一した観測を実施し、電報で観測値を一か所にリアルタイムで収集する計画だった。電信網がない僻地でも当時発展しつつあった無線が使える可能性があった。IMOはこの提案を実現すべく1907年に「世界規模観測網の専門委員会」を設立した[1]。

これは壮大な計画であり、その実現には莫大な費用が必要だった。そのため、各国政府はこれに消極的であり、この計画は縮小されて、一部の地点の観測結果を郵便で集めて気候値としてとりまとめることだけになった。

しかも、十分に標準化されていない観測値をとりまとめることは、大変な作業だった。とりまとめを担った英国気象局長官のショー卿は、その作業の際に起こったさまざまなトラブルに悩まされた。これはエドワーズが述べる「データ摩擦」(この概念については別途解説する)ともなった。観測結果のとりまとめに時間がかかった結果、最初の1911年のデータは1917 年に公開された

それでもこの計画は、後に気候変動が問題となった際に、それを議論するための世界的な規模を持った過去の観測値として、重要な役割を果たすこととなった。この観測値の収集と気候値としてのとりまとめは、その後米国のスミソニアン協会に引き継がれ、1921年以降は世界気象記録(WWR)となった。これは現在米国海洋大気庁(NOAA)が発行する「世界月別気候データ」として続いている。

1950年代に数値予報の技術が進歩してくると、その初期値のための気象観測値が重要となった。しかし、そのためのデータは、必要な場所から、必要な形式で、必要なタイミングでは得られなかった。特に気象を3次元で捉えるために必要な、各地の上層の気象データが大幅に不足していた。統一されたリアルタイムでのグローバルデータの収集が喫緊の課題となった。

この実現には、観測手法の標準化・統一だけはなく、各国が独自に設立している気象通信網の単一のネットワークへの統合と、そのための技術的、制度的な調整が必要だった。さらに1957年に初めて打ち上げられた人工衛星は、直ちに画像による気象監視にも用いられて、その有効性が期待された。

ちょうど東西冷戦の最中だった。米国のケネディ大統領は、この数値予報の実現とそれによる気象改変、および人工衛星の軍備管理を兼ねて、1961年9月25日に国連総会で演説した。それは、各国の協力による衛星と通信技術を用いた使った世界規模の気象観測システムの提案だった。これは軍事偵察を目的とした宇宙開発を、平和目的の気象予報で包んだ面もあった。これは政治家と気象学者の両方の歓心を買った。

これはエドワーズによると、高空を利用した「技術政治」であり、また衛星を用いた気象観測網という「インフラストラクチャのグローバル化」でもあった。

WMOは、これを世界規模の気象観測網の技術的および制度的な改革の機会と捉えた。これを契機に、WMOは各国の気象観測網を統一・結合する世界気象監視(World Weather Watch)プログラムを設立し、これは政府間会議である世界気象会議で承認された。

 

 世界気象監視(World Weather Watch)の概念図

現在では、このプログラムに従って、世界中に広がった数百か所以上からなる観測所で、毎日決められた世界標準時に気温や湿度などの気象を一斉に観測し、視程や雲量を目視で判定し、ラジオゾンデを上げて特定の高度の気温や湿度、風速と風向が観測され、それらは統一な様式で報告されている。そして、その結果は国際通信網を使って送信・共有されている。

なお、このための気象通信網は、WMOが敷設したわけではない。既に各国が行っていた気象観測の手法や持っていた観測網での通信方式を統一し、それらを接続したものである。 このやり方を著者のエドワーズは「インター・ネットワーク」方式と呼んで、世界気象監視が成功した一因に挙げている。ただし、当時の通信はデジタルデータが全てではなく、短波無線やファックスなどのアナログデータも混在していた。そのため、そのネットワークの統一には多大な困難が伴った。

自動化などで多少手法は変わっても、現在でもそれらの作業は世界中で行われている。そして、現在ではそれに衛星や航空機、船舶からのデータが加わっている。これらの観測作業は黙々として毎日欠かさず世界中で定常的に行われており、グローバルデータの収集として数値予報や気候変動の監視などに重要な役割を果たしている。

体系的な気象観測(気象庁提供)

グローバルデータの収集は、データの収集と伝達の標準化が中心となる。標準は潤滑油のようなものである。しかし、標準化は常に現場に応じて適用されるか具体化される。したがって、標準は伝統や因習、新しい技術、その場しのぎの工夫などと常に摩擦を引き起こす。WMOでは、これらの課題を緩和するための会議を、定期的に開催している。グローバルデータの収集は、今日でも背反と不均質と矛盾と不完全を受け入れることによって機能している。

グローバルデータの収集のための観測などの活動は地道であり、人々の意識に上ることはめったにない。それでも、気象観測は気象予報に使われており、もしこれがなくなると、日々の防災や生活に直ちに影響が出る。しかし、日射量や大気成分、エアロゾルなどの気候独自の要素の観測は、短期的な視点だとその重要性を感じにくい。

気候変動はWWRの例を見てもわかるように、くまなく観測された過去のデータがあってこそ、気候が本当に変わっているかどうかがわかる。ただ、日々継続して行う観測にはその維持や品質管理に多大な費用がかかるため、気候のための観測(観測所や測定器の維持、そのための人員)は、予算当局による削減対象となりやすい面がある。

参照文献

[1]堤 之智、2018:気象学と気象予報の発達史(丸善出版) 

2024/04/25

国際政治とグローバルな気象観測網

現在、気象観測は世界中で行われ、その結果はほぼ即時的に知ることが出来る。正午のニュースで午前中の最高気温や最低気温が報じられることもある。また大雨が降るとどこでどの程度の雨量があったかがすぐにわかる。世界各地で起こった異常気象も報じられることがある。もちろん、観測結果は天気予報(数値予報)にも用いられており、日常生活や防災を支えるインフラストラクチャの一部となっている。そして、現在の気候変動問題のリアリティも、気象観測網を用いた情報が支えている。

これは当たり前のように見えるかもしれないが、実は容易なことではない。各地に気象測定器を置いただけでは、観測網にならない。それらは統一的な測定基準で運用され、一斉に観測され、何らかの通信手段で結ばれて、結果が一元的に管理されなければならない。また維持管理のための定期的な保守や測定器の故障の際の修理も必要となる。気象台の職員は、気象台内で予報や観測を行っているだけでなく、アメダスなどの観測所を定期的に巡回して、測定器だけでなくその観測環境も含めた点検も重要な仕事になっている(ちなみに、地震計の維持管理も行っている)。

各国を従えている気象観測網

しかし、気象観測網がすごいのはここから先である。気象独自の問題として、グローバルに統一された観測が必要という問題があった。そのため、気象観測所が各国の各所に展開され、グローバルな観測網を構築している。この世界中を結んだ気象観測網は、初めてのグローバルなインフラストラクチャの一つとなった。

この共通の統一的な測定基準による一斉観測は、今では世界中のほとんどの国々で行われている。世界中が統一された規範に従った同一の作業を一斉に(つまり決められた世界標準時に)行っている。そして、世界中の観測結果は各国の気象機関で瞬時に共有されている。それは、アメリカやヨーロッパだけでなく、ロシアでも、ウクライナでも、北朝鮮でも、中国でも、アフリカの諸国でも同じく行われている。

20245月 地上気温 月統計値の例(気象庁の世界の天候データツールより)。気温に応じた色の付いた点は、気象データを観測して報告している地点。戦争を行っているウクライナやロシアからも、さまざまな国連制裁を受けている北朝鮮からも観測結果は、ほぼリアルタイムで報告されている。ただし、熱帯雨林や砂漠地帯には空白域がある。

現代社会における国家間のさまざまな軋轢やいざこざを見れば、これは驚くべき事である。著者のエドワーズのよれば、最高主権をもっているとされている近代国家をも、その規範に従えているということになる。 こんなことが出来ている分野は他にないだろう。

これは一夜にして出来上がった仕組みではない。100年以上かけて少しずつ関係者が努力を積み重ねていった結果である。なぜこうことが可能になっているのか、簡単にその経緯に触れる。 

第二次世界大戦までの気象観測網の歴史

気象はただ1か所で観測しても、その意義は薄い。他の地点の観測値と比較することで、他の観測地点との違いやこの観測地点の特徴がわかる。いくつかの測定器の開発や実験的なものを除いて、組織的な気象観測網の構築は、17世紀から始まった。それはそのための測定器の開発も並行して行ったものだった。当時、イタリアの実験アカデミー、イギリスの王立協会が各地で気象観測を行った、そして、パリだけではあったがフランスの王立科学アカデミーなども気象観測を行った[1]。

しかし、当時は観測手法や結果の比較に関する科学的な概念は確立されておらず、測器較正や観測環境を含む観測手法が異なる、あるいはわからないため、その結果を同一の観測網の中といえども正確に比較することは出来なかった(気候を知るという意味では、当時はそれで十分だった)。また、気象観測は長期間の継続が重要であるが、1日に何度も観測することを毎日継続するための労力は大変なものだった。そのため、王立協会を除いて観測は長くは続かなかった。

観測手法の統一を初めて唱えたのは、おそらく王立協会のロバート・フックである。彼はフックの法則や精密な描写を行ったミクログラフィアなどでも有名である。彼は1663年に王立協会で行っていた気象観測に「気象誌の作成方法(A method for making the history of the weather)」を提案した[1]。これは観測手法の統一のために画期的なものだったが、いくつかの要因により王立協会内でも徹底しなかったようである。

各国では、やがて自国の農業、経済、健康などに気象(気候)データが重要であることに気づいて、18世紀頃から、いくつかの地域で気象観測を行うようになった。その中で、測定器や観測手法を統一した本格的なものは、ドイツのマンハイムにあったパラティナ気象学会によるのものだった。この気象観測網では測定器やその較正方法、観測方法を統一した。この観測網にヨーロッパ、地中海、アメリカ、ロシアなど37か所の観測所が参加し、気圧、気温、湿度、風向、雨量などを測定した。この測定結果は、後にフンボルトの気候図や、ブランデスによる初めての天気図の作成に用いられた[1]。

気象観測の目的に大きな革新が起こったのは、電信の発明によってである。 それまで月単位で集計して郵便で運ばれていた各地の観測結果は、電信によって中央でリアルタイムに把握できるようになった。これによって嵐の来襲に対して港湾のなどの船に事前に警報が出せる可能性が出てきた。フランス、イギリス、オランダなどでは観測所を電信で結んで、警報体制を構築した[1]。これが近代的な気象観測網の原型となった(米国では別途独自に発達した)。警報と行っても予測理論があるわけではなく、気圧や雨・風、気温の変化などの経験則に基づいた現在のナウキャストに近いものだった。

ところが、各国が自国内で整備した気象観測結果を交換するだけでは、警報を出すのが困難であることがわかってきた。そのため、1873年に第1回国際気象会議が開催され、その議題の一つが気象観測の標準化だった。その調整のための国際気象機関(IMO)が設立されたが、データの共有は進んでも標準化はなかなか進まなかった。これは各国が自国の観測手法を優先させたためであり、IMOは決定に拘束力を持つ政府間組織とはならなかった[1]。

                   国際気象機関の設立

他国の観測データを用いようとすると、観測手法の違いや単位の異なるデータの変換に多大な手間がかかった。また各国の気象関係者も、国の政策的な制約を受けることを避け、自分たちの科学的に独立した立場を優先させた。第二次世界大戦まで、一部の関係者は標準化のための努力を行ったが、その進展はわずかずつでしかなかった。

世界気象監視プログラム(World Weather Watch:WWW)

標準化が進展し始めたのは、第二次世界大戦後に世界気象機関(WMO)が設立された後である。 WMOは、国連の専門機関として政府間組織となった。つまり、決定事項は政府代表が集まって討議し、その結果には拘束力が付与された。

そして、コンピュータの発明と人工衛星の打ち上げによる数値予報と気象改変の可能性によって、1961年に米国のケネディ大統領は、国連総会において、衛星や通信網を用いた気象の観測と予測に関する各国による協力の構想の演説した[1]。これは各国から歓迎され、それを受けて、WMOは世界気象監視(World Weather Watch:WWW)プログラムを開始した。これが、上記の各国による調整された統一された規範に基づいた同一の作業による気象観測の実現となった。

1961年9月25日に国連総会で演説するケネディ大統領

著者のエドワーズは、WMOなどの国連の組織自体が、各国政府の正統性に挑む権限を持っていたためにその主権を制限した、と述べている。世界気象監視プログラムの実現には、この本にあるように技術の発展だけでなく、気象学の伝統と関係者の工夫・熱意と東西冷戦が関係している。

世界気象監視プログラムは、当初は種々の技術的・社会制度的な問題にぶつかり、それを一つ一つ解決して行った。世界気象監視プログラムは、まさに初のグローバルな通信インフラストラクチャの一つだった。それはインターネットが登場するはるか前である。エドワーズは世界気象監視プログラムを、現在のWorld Wide Webと対比させて、最初のWWWと呼んでいる。

参照文献

[1]堤 之智、2018:気象学と気象予報の発達史(丸善出版) 


 


2024/04/19

わかるとは?

 我々は通常、わかるという言葉を「わかった、わかった」などと当たり前に使っている。しかし、わかるとはどういう状況になればそう言えるのか?それをきちんと説明することは意外に難しい。それは万国共通かもしれない。しかし、日本語の場合は「わかる」という言葉は示唆的である。それは「分けることが出来る」という状況から来ているという説がある。つまり、この説では、わかったこととそれ以外のものとの違いを説明できるかどうかということになる。

さて、この本の著者のエドワーズは、「もしあなたが何かを本当に理解したいのなら、『どうやってあなたはわかるのか?』という基本的な問いを行わなければならない」と述べている。

もちろん、あなたは、わかったと言える根拠をまず述べるだろう。しかし次々に問い続けると、その根拠は何か?かを考えるようになる。もしそれが科学的な問いである場合には、測定器の誤差、測定対象のサンプリング手法、データの統計分析法などに注意を払うようになる。これは、エドワーズによると「どうやってあなたはわかるのか? 」である。

また、それは誰がその結果を集めたのか? なぜあなたはそれを証拠と見なしたのか? どこでそれが根拠と言える権限を得ているのか?ということが問題となる。これをエドワーズは、『どうやってあなたはわかるのか? 』ということになると述べている。

さらに、最後にそれらがどのようにして大勢に証拠として認められる、つまり人類の知として認められるのか?が問いとなる。これは、「どうやってあなたはわかるのか?」となる。この先は、デカルトのようにさらに突き詰める人もあれば、むしろ世間の権威に答えを頼る人も出てくるかもしれない。


 いずれにしても、気候変動をわかろうとする場合には、その前の気候がどうであったを知って、それと現在とを比較することが必要となる。しかも気候変動はグローバルな問題であるので、グローバルなデータが必要となる。それもできるだけ過去の信頼できるデータが必要である。

しかし、各地の観測データがあったとしても、どの地域でどのくらい異常なのかについてをどうやって知ることができるのだろうか? 観測データを見ればわかるのだろうか? 地球上で観測データがある地点は偏っており、データがある期間も地点によってばらばらである。それでは、どういうデータがどのくらいの地域代表性を持って、どのくらいの期間あれば、気候変動の把握が可能なのだろうか?これらは認識論に関わる問題でもある。

現代では、地球温暖化の問題は一部の科学者や政治家の問題ではなく、それをはるかに超えている。世界で数十億人が地球温暖化について知っており、それに何らかの形で関心を持っている。これらの世界中の多くの人々は、どういう経緯で地球温暖化という気候変動に関心を持つようになったのだろうか?

これらの問いの答えの始まりとなったのが、19世紀の英国の評論家ラスキンが唱えた『A Vast Machine(巨大な機構)』である。この言葉は、この本の原題ともなっており、この本は、認識論や社会制度、技術論などさまざまな角度から分析してこの問いに答えながら、地球温暖化を人類が本当に理解するために必要な知識を挙げ、必要な概念を提唱している。

 

19世紀の英国の評論家ジョン・ラスキン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%B3#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:John_Ruskin.jpg

2024/04/16

知を生み出すインフラストラクチャとは?

 現代において様々な共通の認識の元となっている科学知識は、いったいどのようにして生み出されているのだろうか?

著者のエドワーズによると、それには、まず手段やものを使って思考や実験を行う必要がある。それによって、何か新しいことを発見した場合には、それを周知して他の専門家と共有しなければならない。その上で、それが真実ですでにわかっていることと矛盾しないことを他の専門家に納得させる必要がある。それには、発見したことを理解する学会などの共同体が必要で、その共同体と学会発表や論文誌などでつながって、はじめて専門家を納得させることができる。

そして、そうやってその発見について他の専門家たちの理解を得られれば、それは新しい知識として発表され、権威に裏付けられた物となる。それによって世界中の人々の信用を得る。科学的な新しい「知」は、ほとんどがこういった段階を経て生まれている。

 

 新たな科学知識が生まれるプロセス概念図

そして、エドワーズは新しい知が確立されるこのような手続きは、広い意味でのインフラストラクチャであると主張している。現在、そうやってインフラストラクチャによって生み出された知識が、さまざまな分野での思考や技術や社会制度を支えている。

ではこのインフラストラクチャは、どのようにして数十億人もの一般人の思考や生活に溶け込むようになったのだろうか。このようなグローバルなインフラストラクチャは、人々と物と制度からなる長年かかって気づき上げてきた堅固なネットワークで出来ている。それは技術だけでなく人々や社会制度も含むという意味で、それは「社会」技術システムである。

そして、そのグローバルなインフラストラクチャの一つが気象観測網である。1850年代からの気象観測網の発達の歴史には、電信から無線、パンチカード、コンピュータとネットワーク化、人工衛星などによる技術の発達と、政府間組織である世界気象機関(WMO)とそれが各国に規定する規範という社会制度が絡んでいる。

世界気象機関(WMO)のロゴ

それらによって、気象学は世界中の気象を統一的な手法で観測するだけでなく、それを国家を超えてネットワーク化し、気象の物理過程をモデル化してグローバルなデータを解析し、その結果を科学的な記憶として保管し、それを世界中で使えるようにして知を生み出す、という一連の円滑な流れを確立した。だから、それはグローバルな社会技術システムというインフラストラクチャの構築でもあった。

世界中の気象予報(数値予報)は、この恩恵を蒙っている。そして現代では、それを利用して発達し、さらにコンピュータモデル化された気候科学も、グローバルなインフラストラクチャの一部となっている。そのインフラストラクチャから生み出された気候に関する知は、人々の意識を促し、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)などを設立した。そして、そのインフラストラクチャは、そうやってさらに強化されている。その結果、地球温暖化という知は、数十億人もの一般人の思考や生活に既に溶け込んでいる。

このように説明することによって、著者であるエドワーズは、グローバルな特徴を持つ気象・気候データからわかった気候変動を、「グローバルな知を生み出すインフラストラクチャ」という概念と関連させて論じることによって、温暖化しつつある新たな地球を捉えるためのグローバルな思考と、それを支えるインフラストラクチャの重要性を描写しようとしている。

2024/04/10

グローバルに考える

 「グローバル化」という言葉が広く使われるようになって久しい。1989年の冷戦終了後、世界において一気にグローバル化が広がった。現在は経済におけるグローバルなニュースに直面することも多い。また個々の人々がインターネットなどを通じて世界とつながるようになり、現在ではその個人の行動が、最終的にグローバルな出来事に影響するようにもなってきている。

このことをデビッド・ブロワーは、1969年に「グローバルに考え、ローカルに行動する(Think Globally, Act Locally)」という言葉にまとめた*。その考えは地球温暖化に直面して、ますます重要になってきている。

このグローバル化社会では、地球はそれまでのような「広大な大陸と海洋からなる多くの国の単なる集合体」ではなくなってしまった。グローバル化社会の下で世界各国は政治的に、経済的に、そして社会的につながってきている。

気候学を見ても、20世紀前半まではケッペンの気候図のように地域的な区分に分かれていたが、冷戦の最中にモデルを用いたグローバルな気候科学へと生まれ変わった。もともと気象や地球環境には国境はなく、気候による影響があれば、それは本質的にグローバルなものとなる。

そういうグローバル化社会の中で、気候変動の問題をデビッド・ブロワーがいう「グローバルに考え、ローカルに行動する」ためには、我々はこのグローバル化した地球を新たにどう捉えれば良いのだろうか?

著者であるエドワーズは、その手がかりの一つとしてローマクラブが1972年に出版した「成長の限界」を挙げている。これは世界の成長をグローバルな規模で初めてシミュレーションしたものだった。その主張の一つは、ローカルな経済の加速度的成長は世界システムを崩壊させるということだけでなく、社会・技術・環境システムは相互に関連しており、どれかだけに絞ったグローバルな政策は失敗するだろうということだった。

 

ローマクラブのロゴ

さまざまな制約からそれ自体は科学的には成功したものとはならなかったが、世界にセンセーショナルな衝撃を与え、人々のローカルな行動が、グローバルにつながることを明確に示した。なお、「成長の限界」を執筆したメドウズ博士は、2009年に「『成長の限界』報告を基盤とする持続可能な社会形成への貢献」に対して国際科学技術財団のJapan Prizeを受賞している。

このような経緯を含めて、著者のエドワーズは、グローバルに考えるためには、この新たな地球を「相互に複雑につながって進化している一方で、壊れやすく脆弱な動的なシステムとして理解することが必要だ」と述べている。そして、「ミクロとしての個人の選択と行動が、その膨大な集合の結果としてマクロとしての地球環境への効果へとつながっており、その理解が個人の行動の意味を定める」と主張している。

    ミクロとしての個人の選択と行動が、その集合の結果としてマクロな効果になるイメージ

 *エドワーズによれば、この言葉は 1915 年に初めて都市計画の本 (P. Geddes, Cities in evolution (William and Nordgate, 1915))に使われた。環境関連の中ではブロワーが最初に使ったとしている。


2024/04/05

はじめに

この本「気候変動社会の技術史」の原著は、「A Vast Machine」である。これを直訳すると、巨大な機構となろうか? このA Vast Machineという言葉は、19世紀の英国の社会思想家で評論家だったジョン・ラスキンの言葉から採られている。彼は気象学者でもあった。彼は、当時の叙情的で主観的な気象の表現を、科学的、客観的なものにすべきと主張していた。そして、そのために世界規模の気象観測網の構築を夢見ており、その全世界の気象を一斉に観測するための理想としたシステムを、彼はA Vast Machineと呼んだ。

気候変動社会の技術史(日本評論社)
 
「気候変動社会の技術史」の著者である、スタンフォード大学教授のエドワーズは、現代の世界規模の気象観測システムを、ラスキンが提唱したA Vast Machineになぞらえて解説している。各国の気象機関が協調して19世紀から長年かけて作り上げてきた気象観測システムは、現代の世界規模の各種インフラストラクチャの先駆けの一つになっただけではない。それは現代社会における気候変動問題を考える上で、人類にとって欠くことの出来ないインフラストラクチャともなっている。

では、世界規模の気象観測システムはなぜ始まり、どうして広がり、新たにどういう要求が起こり、どうして国際規模になり、どうやって通信の進歩に適合し、 数値予報を実用化し、気候科学が生まれ、その結果、どのようにしてそれが人類にとって基本的なインフラストラクチャとなったのだろうか?

それには、もう一つ、コンピュータとそれを用いた気象と気候のモデルの発達が大きく関連している。そして、それらがどう関わって、最終的に現在のように人類が世界規模の気候変動問題を認識するようになったのだろうか?

これらの問いに対して、認識論、社会技術論、通信などの技術史、気象学の歴史、コンピュータの歴史などを織り交ぜながら、答えを紐解いていく書となっている。 極めて幅広い分野にわたる根源的な問いに答える本となっている。

そのためこの本は、米国気象学会の「ルイス・ J・バタン著者賞」(2012 年)、技術史学会が授与する「コンピュータ歴史博物 館賞」(2011 年)、ASLI(Atmospheric Science Librarians International)の歴史部門の推薦賞(2010 年)を受賞している。さらに、英国のエコノミスト誌 が選ぶ2010 年のブック・オブ・イヤーの中の1 冊にも選ばれている。たしかにそれらの受賞に頷けるだけの中身の濃い本となっている。

以下に目次を挙げるが、それぞれの章は関連している。ただ目次だけ見てもどう関連しているのかはわからないだろう。また、摩擦や再解析、パラメータなどそれだけではわかりにくい言葉もある。また中では新たな概念も提唱されているので、それらも含めてこのブログで徐々に解説する。個々のブログは右上の「ブログ内のタイトル」にリンクされている。

 目次

第1章 グローバルに考える
第2章 地球空間と万国標準時――地球大気を知る
第3章 標準とネットワーク――国際的な気象学とレゾー・モンディアル
第4章 第二次世界大戦前の気候学と気候変動
第5章 摩擦
第6章 数値予報
第7章 気候予測――期限のない予報
第8章 グローバルデータの作成
第9章 世界最初のグローバルネットワーク
第10章 データのグローバル化
第11章 気象データを巡る戦争
第12章 再解析――過去の気象データの作り直し
第13章 パラメータと知の限界
第14章 大気のシミュレーションと国際政治――1960年-1992年
第15章 シグナルとノイズ――合意、論争、そして気候変動
結論