2025/09/07

「成長の限界」(3) 地球温暖化問題との関連

(このブログは「気候変動社会の技術史」(日本評論社)の公式解説ブログの一部です)

 

安定した均衡社会へ

成長の限界は、グローバルモデルによってさまざまな成長要因を分析し、将来予測を行った。この結果には一部から異論が提唱され、今でも議論が続いている。逆に言えば、この50年間の技術の進歩をもってしても、「成長の限界」の結論を完全に否定することは出来ていない。私は、この予測は定量的には当たっていないが、その定性的な結果にはまだ否定できない確固たる根拠が残っていると思っている。それは言い換えれば、各影響要素の関係性をきちんとモデルに織り込めば、モデルによる将来予測はそれなりに信頼性があることを示している。 
 
地球温暖化モデルによる将来予測は、「成長の限界」で行ったような予測を、温室効果ガスの排出シナリオとそれに対する自然の応答を最新の知見によって精緻化して行ったもの考えることが出来るだろう。そう考えると今後予測された上昇気温の多少の変化はあっても、「温室効果ガスの排出によって地球が温暖化する」という結論を覆すほどの知見は、新たに出てきそうにないと思っている。

話を「成長の限界」へ戻すと、この本は次の問いを発している。

成長に自主的な限界を設定することによって、自然の限界内で生きようとするほうがよいのであろうか。あるいはなんらかの自然の限界につきあたった場合には、技術の飛躍によってさらに成長を続けうるという望みをもって成長し続けるほうがよいのであろうか。

正のフィードバック・ループは、成長が進むと何らかの負のフィードバック・ループによってだんだん阻害されるようになる。そして成長がシステムの環境の限界、すなわち生命維持能力の限界に近づくにつれて、それは次第に強くなる。最後には、負のループが正のループとバランスするかあるいはこれに打ち勝って、成長は否応なく終りを告げることになる。

そのため、「成長の限界」は「成長から世界的な均衡へ」の移行を提唱している。そして、「そのような均衡状態の重要な問題は、生産ではなくて分配となるだろう。そうなると、もはや成長に訴えることによって相対的な配分の問題を避けることはできない」と述べている。そうだとすると、これまでのような成長によってアメリカンドリーム的な貧富の差が拡大する考え方は長続きせずに、資源や所得の再配分のような平等や均衡を前提とした目標に切り替える必要がある。その際に、ローマクラブは、次のように述べている。

多くの国や民族は、性急な救済策として孤立主義に閉じ込もったり、自給自足を試みたりしてシステム全体の働きをいっそう悪化させるのみであろう。世界システムの種々の構成要素には相互依存関係があるために、そのような対応策は結局無意味なものとなるのである。

これまで1972年に出されたローマクラブによる「成長の限界」の内容について説明してきた。この内容はかなり昔に出されたものではあるが、ひょっとすると近未来に起こりえる問題を正確に描写しているのかもしれない。

地球温暖化問題の場合 

上記のように「成長の限界」の結論だと、やがて成長が終わるため持続可能な均衡状態の社会に移行することを提唱している。しかし地球温暖化問題では、「成長の限界」では議論していない特有の問題がある。「成長の限界」は手遅れにならないようにするための問題点として、対応の遅延を重視している。しかし地球温暖化の問題は、人間の認識における対応の遅延だけではない。仮に全人類が地球温暖化ガス排出を直ちに止めたとしても、次の点を考慮する必要があるだろう。

  1.  既に排出された大気中の温室効果ガスを減らさなければならない。特に二酸化炭素は大気中で極めて長い寿命を持っており、その膨大な量を回収しない限りそれによる温室効果を止めることは出来ない。回収には温室効果ガスを排出しない作業によることと、回収のための相当な時間(と費用)が必要になる。
  2.  大気や海洋が持つ熱慣性の問題がある。特に海洋は熱慣性が大きい上に深海までゆっくりと循環している。いったん上がった海水温はなかなか下がらずに、熱を放出して元の温度に戻るのに多大な時間(数百年以上?)が必要になると思われる。

これは、「成長の限界」(1で示した車の例で言うならば、車が止まった後もまだ危機は終わらないと言うことである。

地球温暖化の問題は人間にとってきわめて複雑である。さまさまな取り組みが始まってはいるが、温室効果ガスの排出は暮らしや経済と密接に関係しているので、対策(緩和策)の実効を上げる、つまり温室効果ガスの排出が減る兆候が現れるのに時間がかかっている。そのことは、京都議定書(1997年)から既に30年近く経っても温室効果ガス濃度は増え続け、下がる気配がないことからも明らかである。

 

全球平均の二酸化炭素濃度の推移。2024年版の世界気象機関「温室効果ガス年報(気象庁和訳)」より。https://www.data.jma.go.jp/env/info/wdcgg/GHG_Bulletin-20_j.pdf

地球温暖化問題の究極の解決には、
  ①排出削減によって温室効果ガス濃度が下がり始める。
  ②その濃度がある低いレベルで安定する。
  ③気温が下がり始めて温暖化以前の状態に戻る。
の3つの段階があることがわかる。

これはまさに、「成長の限界」(2)  で示した 「その達成のために行動を開始するのが早ければ早いほど、それに成功する機会は大きいであろう」ということである。温暖化防止対策のための温室効果ガスの排出削減に、実効が上がっている兆候が少しでも早く見えることを願っている。

2025/09/02

「成長の限界」(2) 成長の将来予測と結論

(このブログは「気候変動社会の技術史」(日本評論社)の公式解説ブログの一部です)


 成長の将来予測

経済などの長期間にわたる将来予測を行なうためには、食糧の増加率や資源消費量などの多くの要因に関する関係を計算に入れる必要がある。しかしこれらの総合的な関係は、先に述べたように直観的に理解することができないほど複雑な構造をもっている。将来予測を行うためには、多くの要因の相互に関連した複雑な関係を正確に捉えなければならない。このようなものを正確に分析・理解して将来を予測しようとすると、関係性を定式化して、それらを統合した全世界的なベースで計算する手法、つまりグローバルな数値モデルが必要となる。

 

要因間の関係性は、要因が増えると飛躍的に増加する。これらを直観的に理解することは不可能に近い。

ここでは「成長の限界」による予測結果を詳細に解説することはしない。その将来予測の分析結果に興味がある方は「成長の限界」の本を見てもらいたい。「成長の限界」が導き出した結論の一つは、「現在のシステムにこのまま大きな変革がないと仮定すれば、人口と工業の成長は遅くとも次の世紀内(つまり21世紀)に確実に停止するだろう」ということである。「成長の限界」は次のように結論している。

世界モデルの計算では、自由に「行きつくところまで」成長させるべきであるという最初の仮定をとるかぎり、破局的な行動様式を回避する一組の政策を見つけ出すことは不可能であった。

この本では、「行動様式」とは、時間の進行とともに変化する傾向を意味している。今までいろいろと試してきた世界システムの基本的な行動様式では、このままでは人口および資本の幾何級数的成長によって、成長は破綻すると予測されている。

「成長の限界」では、エネルギー問題については原子力エネルギーを使って当面は解決できる、としている(ただし核の廃棄物を汚染として重視している)。ここではその是非については置いておくが、「成長の限界」では、

エネルギー問題の解決による「無限」のエネルギー資源は、汚染の問題によって世界システムの成長を支える鍵とはならないように思われる。

と結論している。この汚染は、「成長の限界」では当時の公害などを指しているが、現在では地球環境問題のようなもっと広域の課題も含まれると捉えることが可能と思われる。

技術革新と「成長の限界」

人類の近代の歴史は、生起した問題による限界を技術革新によって克服してきた。そして多くの人々は、引き続き技術革新によって自然が持つ限界を無限に克服し続けることができる、と期待を抱いている。しかし、「成長の限界」では、そうはならないと結論している。そして、その理由として次の2つを挙げている。

l  複雑なシステムにおける急速な幾何級数的成長

l  対応のための時間の遅れ(原因と結果との間に起こる遅れ、人間が原因を認識するまでの遅れ、対策が効果を上げるための遅れ)

「対応のための時間の遅れ」とは、例えば車の運転の場合、人間が危険を認識すれば回避するためのブレーキを踏むが、その動作と応答(自動車が実際に止まるまで)との間にはどうしても時間の遅れが存在する。そして、仮に技術的な対策が可能だとしても、幾何級数的成長のようにシステム自体が急激な変化をとげている場合(例えば高速で走行している車の場合)は、この対策にかかる時間遅れによって、手遅れになることがあり得ることを示している。しかもこの対応は、技術的なものだけでなく第二のカテゴリーである社会的(政治的、倫理的、文化的)な対応も必要となる。しかし、その対応はこれまで速やかに行なわれたことがほとんどないとしている。

地球温暖化問題で言うと、「適応策」(温暖化した世界の中で暮らしていく技術)も技術革新の中に入るかもしれない。ある程度の地球温暖化は既に避けられないとされている以上、技術的な革新による適応策は必要である。しかし、それで地球温暖化問題が全て克服される(つまり温暖化する前のような暮らしに戻れる)わけではないことも、心に留めておかなければならない。

「成長の限界」の結論

経済成長の一部は、資本ストックとなって資本を増加させ、それは投資を増加させる。その結果、増えた資本ストックは、ますます多くの生産物を生み出すことになる。これが最初に述べた正のフィードバック・ループである。

成長を妨げようとする圧力に対して、従来は技術を適用することによってそれを解決することに成功してきた。これは、文化全体が限界に従って生存することを学ぶよりも、むしろ限界と戦うという原則をもって進歩してきたことを意味する。しかし、成長の過程のどこかで、使用可能な天然資源の大部分が底をついてしまう。あるは汚染の問題が負のフィードバック・ループを形成するようになる。「成長の限界」は、このような問題については技術の発達でなんとかなる、という考えを「技術的楽観主義」と呼んでいる。

そして「成長の限界」は、問題を克服するために「技術的楽観主義」に陥ることを戒めている。技術革新は問題の兆候を除去することはできるが、本質的な原因に作用することはできないとしている。

「成長の限界」における主要な分析を述べてきた。同書で重点がおかれているのは、このモデルによる結果が世界に関して我々に何を告げているかである。そして序論(要約)の中で次のように結論している。

(1)世界人口、工業化、汚染、食糧生産、および資源の使用の現在の成長率が不変のまま続くならば、来たるべき100年以内に地球上の成長は限界点に到達するであろう。もっとも起こる見込みの強い結末は、人口と工業力のかなり突然の、制御不可能な減少であろう。

そして、同じく序論の中で、次のように述べている。

2)こうした成長の趨勢を変更し、将来長期にわたって持続可能な生態学的ならびに経済的な安定性を打ち立てることは可能である。この全般的な均衡状態は、地球上のすべての人の基本的な物質的必要が満たされ、すべての人が個人としての人間的な能力を実現する平等な機会をもつように設計しうるであろう。

つまり「成長の限界」は、破局的な行動様式を回避するには、経済成長より持続可能な社会均衡を重要視している。その上で「その達成するために行動を開始するのが早ければ早いほど、それに成功する機会は大きいであろう。」とも述べている。どうだろう、この50年以上前の結論は現在から見て古くさい荒唐無稽なものだろうか?

「気候変動社会の技術史」の中でも述べられているように、地球温暖化は、温室効果ガスによる環境汚染の一部という考え方がある。持続可能な社会という視点で見ると、地球温暖化のような地球環境問題は、「成長の限界」で議論されているように、成長に臨界点をもたらす汚染の一つと捉えることが出来るだろう。

(次は、「成長の限界」(3)  地球温暖化問題との関連

2025/09/01

「成長の限界」(1) 幾何級数的な成長

(このブログは「気候変動社会の技術史」(日本評論社)の公式解説ブログの一部です)


 「成長の限界」を取り上げる理由

「気候変動社会の技術史」において著者のエドワーズは、1972年に発表された本であるローマクラブによる本「成長の限界」を取り上げている。「気候変動社会の技術史」に書かれているように、これは一般向けの書籍として出版され、世界中で700万部以上売れた。

 

成長の限界 

「成長の限界」が斬新だったのは、マサチューセッツ工科大学(MIT)のフォレスター教授が開発した「ワールド・ワン」と呼ばれるグローバルモデルを用いて、将来予測を行ったことである。この研究は、グローバルモデルを用いて実質的に世界で初めて全球規模での人口や経済などの成長を定量的に予測したものとなっている。そしてその結果は、50年以上経った今でも世界の成長と課題について、本質をついた部分があるのではないかと思われる。

モデルの一般的な利点をおさらいしておきたい。モデルは分析するさまざまな要素の関係性を明示して取り込むことにより、最終的には人間の直感では掴むことができない結果を出すことが出来る特徴を持っている。例えば、アリストテレスは地球から見える星々の動きを、地球の周囲を回る惑星と恒星という関係性で可視化し、宇宙構造のモデルとして人々に提示した。このモデルは天道説ではあったが、これがその後のプトレマイオスやコペルニクスなどによる宇宙モデル改良によって地動説のための叩き台となった。

例えば地動説はいきなり人間の直感から容易に得られるものだろうか?アリストテレスの宇宙モデルは、その後星々の関係性を可視化した叩き台となることによって、西洋科学の発達(つまり現代の我々の暮らし)に計り知れない影響を与えた。一方で、東洋(中国)では、宇宙は渾天説,蓋天説,宣夜説などの星々の動きの数理的な解析が対象となり、宇宙構造を統一的に説明するわかりやすいモデルは出なかった。この差が、東洋ではいわゆる科学革命のようなものが起こらず、ルネサンス以降、西洋科学に水をあけられる原因となったのかもしれない。

さて話を戻す。数値モデルは世界に適用可能な一般性のある定量的な理解や議論を可能にする。フォレスター教授のモデルの結果は、成長をもたらす複雑なシステムに関する関係性を秩序立てて集めて分析したものである。「成長の限界」は、グルーバルモデルを用いた定量的な人類の将来予測の最初のものであり、今から50年以上前に行われた予測結果は、現在から見ると(現時点では)必ずしも当たってはいない部分もある。

しかしこの予測結果は見当違いだったというよりも、「成長の限界」が指摘している課題の多くについて、現実の状況の方が先送りされているだけのように見える。つまり、「成長の限界」の内容や指摘している課題の多くは、本質的にはまだそのまま残っているではなかろうか。「気候変動社会の技術史」で取り上げたように、温暖化予測モデルを用いた地球温暖化の議論は、「成長の限界」でのモデルによる議論とも共通する部分がある。そのため、今回は「成長の限界」での議論を詳しく見てみることにしたい。

幾何級数的成長

現在、世界の人口や経済は幾何級数的な成長あるいは拡大を行っている。「成長の限界」は、この「幾何級数的な成長」を取り上げている。幾何級数的成長とは、一定割合での成長ではなく、倍々ゲームのように時間とともに急激に拡大していくことを指している。しかし、この幾何級数的成長の特徴やそれによる結果は、人間の直感では得にくい。例えば「成長の限界」では、次の例を挙げている。

もし広い池の中に生えている睡蓮が毎日2倍の大きさになり、30日目でその池を完全におおい尽くして池の中の他の生物を窒息させるとする。そうならないように睡蓮が池の半分を覆ったら、その時に刈り取るなどの対策を立てることにする。その日が来るのはいつだろうか?答えは29日目である。つまり、池を救うのに残されているのは1日だけということになる。

池の睡蓮

もちろん、この程度であれば直感でわかる人も多いかもしれない。しかし現実ははるかに複雑である。「成長の限界」では、人口、資本、開発、天然資源、工業産業、農業等生産、汚染、サービス等のざっと70前後の要素とその間の関係性を挙げて、その間の複雑な関係性を分析して予測している。幾何級数的な成長をもたらしているそれらの要因だけでも、的確に把握して精緻に検討・分析して将来予測を行うことは、モデルを用いない直感では不可能に近い。

幾何級数的成長をもたらしている要因

世界の経済成長を考えてみると、各年の生産の大部分は消費財として消費されるが、一部は資本ストックとなって、資本を増加させる投資となる。これは正のフィードバック・ループとなり、増えた資本ストックはさらに投資を増加させて生産を増大させる。この仕組みによって経済成長は繰り返されて、幾何級数的な成長となる。 

幾何級数的な成長の模式図

「成長の限界」は、世界の成長に必要な要素をおおまかに二つのカテゴリーに分けている。第一のカテゴリーは、「生理的活動や産業活動を支える物質的必要物」であり、これには食料、化石燃料などの天然資源と、生産物を再循環させている地球の生態学的システムなどが挙げられる。第二のカテゴリーは、「社会的に必要な要素」であり、これは平和、社会的安定、教育、雇用、技術の進歩などである。これらの要素は成長のための必要条件ではあるが、十分条件ではない。

現在幾何級数的な成長を示している大規模な経済成長は、第一のカテゴリーである天然資源に強く依存している。そしてその利用には、第二のカテゴリーである「社会的に必要な要素」にも強く依存している。例えば産出国と消費国の間の国際関係などの政治が第二のカテゴリーの一つである。これは石油の価格が中東情勢と大きく関連していることでもわかる。

 (次は「成長の限界」(2) 成長の将来予測と結論」