2024/08/22

「健全な科学」議論

「健全な科学(sound science)」とは、1990 年代半に主に共和党からなるアメリカの環境保守派(米国の保守派は懐疑論者に近い)と気候変動懐疑論者が行った、科学的な証拠はどうあるべきかに関する主張である。その主張とは、「科学は経験的な事実に基づいた健全なデータに導かれなければならない。観測データは議論の余地のない証明を意味するが、モデルの結果は本質的に信頼できない」というものである。

これによって、不確実性を含むモデルの結果が、この議論の槍玉に挙がった。そして、地球温暖化に対する議論として、「経験的事実に基づいた確固とした根拠を持つ観測データ」と「根拠の弱い推測的なモデル結果」が、単純に対立する形となった。

                 モデル対データの議論の模式図

 その例を挙げる。地球からの放射を測定する人工衛星は、いくつかの波長を観測するマイクロ波放射計(MSU)を搭載している。これは、これは地面と大気からの総合的な放射量を見ており、これは温度と密接な関係がある。1990年代に半ばにアラバマ大学ハンツビル校(UAH)は、この放射計の観測データを工夫することによって、対流圏の気温を測定する手法を開発した。

そして、放射計が搭載された1979年から1995年までの対流圏の全球気温トレンドを計算し、その結果は10年当たり-0.07℃の低下傾向を示した。当時、モデルを用いた全球気温は上昇を示していたため、これは議論となった。ここで出てきたのが、科学はモデルの結果ではなく観測結果に立脚すべき、という「健全な科学」議論だった。これはモデル結果を懐疑的に捉える共和党のイデオロギーにうまくはまった。

一見すると、モデルの結果より実際の観測結果の方が信頼性があるように思えるかもしれない。しかし、そうではない。その後起こったことは、1998年のエルニーニョによる高温とデータの蓄積によって、衛星観測による対流圏の全球気温トレンドはプラスへの増加に転じ、さらに衛星観測の処理プログラム、つまりデータ解析モデルの修正によって、その気温トレンドはさらに上昇した。この議論は現在でも完全になくなったわけではないが、問題としてはかなり沈静化している。

ここで問題となるのは、「観測データ対モデル結果」という対立の構図である。衛星による放射量を気温に変換するのにもデータ解析モデルが使用されており、そのモデルはたびたび修正が行われ、その度に結果も変化している。また民間調査会社のリモートセンシング・システムズ(RSS)も同じ観測データを用いて、やはり対流圏の全球平均気温トレンドを出しているが、それはUAHの値とも異なっている(しかもUAHより大きい)。この違いはデータ解析モデルの違いによる。

結局、「データ解析モデル」の所で述べたように、実は観測結果と言っているデータのほとんどは、データ解析モデルで処理されたものである。一方、データイメージのようなモデルの結果も、完全な理論だけで構築されているわけではなく、「データのグローバル化 」の所で述べたように観測データによる拘束を受けている。

つまり観測データ対モデル結果という議論は、ほとんど意味がない。哲学者スティーブン・ノートンやフレデリック・サッピが主張しているように、「適切に解釈され展開されるためには、むしろデータはモデル化されなければならない」のである。つまり、エドワーズが主張しているように、純粋なデータも純粋なモデルも存在しない。「健全な科学」議論のように、観測データとモデル結果は対立するものではなく、「データ解析モデル」の所で述べたように、両者は相互に依存しながら相互に有益となる「モデルとデータとの共生」を示しているのである。